正しいことをした人から消えていく会社で、ずっと不思議だったこと

本業サラリーマン

——「正しい人」が報われない会社の構造

長く社会人をやっていると、「これは理屈としておかしくないか?」と思う瞬間に何度も出会う。

私がこれまで仕事の現場で実際に見聞きしてきた、どう考えても腑に落ちなかった出来事を整理してみたい。

特定の会社や人物を指すものではない。ただ、日本の企業組織に広く存在する「構造的な不思議さ」についての話だ。

① セクハラを告発した側が地方転勤になる不思議

ある会社で起きた話。女性社員が、管理職からのセクハラ行為を本社に告発調査の結果、管理職は退職。ここまでは、まだ理解できる。問題行為があれば、責任を取るのは管理職だ。

しかし、その後が不思議だった。

告発した女性社員は地方へ転勤……なぜ?表向きの理由はこうだ。

「職場の人間関係が難しくなる」

「本人のメンタルケアのため」

「新しい環境で心機一転」

どれも一見配慮しているように聞こえる。だが、構造として見るとこうなる。不正を告発した人が、生活環境を大きく変えさせられる

これでは組織にこういうメッセージを送っているのと同じだ。

「声を上げると居場所がなくなる」

「黙っていた方が楽」

コンプライアンスを守るための制度が沈黙を選ばせる装置になってしまっている。

② 違反指示を出した管理職は無傷、実行した社員が処分される不思議

次のケース。

管理職が明らかにコンプライアンス違反となる業務指示を出す現場の社員は「おかしい」と思いつつも、命令として実行問題が表面化

結果はこうだった。

管理職:お咎めなし

実行した社員:懲戒処分

これもよく考えると奇妙だ。

指示を出した側は「指導」「裁量」「記憶にない」で逃げられ、実行した側は「最終的にやったのはあなたでしょう」と切られる。

ここで会社が暗に言っているのは、「命令に従っても責任は個人で取れ」ということになる。しかし、現実の職場では命令に逆らえば「協調性がない」実行すれば「自己判断が悪い」どちらを選んでも、社員側が詰む構造になっている。

③ 「やっていない証拠を出せ」と言われて退職に追い込まれる不思議

さらに理解に苦しんだのがこのケース。

管理職から「コンプライアンス違反をしていない証拠を出せ」と社員に要求社員は証明できず、最終的に退職。

冷静に考えてみてほしい。「やった」なら証拠を出せ、は分かる。だが、「やっていないこと」の証拠を出せこれは、悪魔の証明だ。

書類が無い → 隠したのでは?

記録が無い → 消したのでは?

証人がいない → 共犯では?

どう転んでも、疑いは晴れない。本来、組織がやるべきなのは、違反を主張する側が証拠を出す不明な場合は、制度や管理体制を見直すそれなのに、個人に説明責任を全て押し付けることで、問題そのものを「個人の資質」にすり替えてしまう。

なぜこんなことが起きるのかこれらに共通しているのは、個人の善悪ではない。会社は「前例」を壊したくない、管理職の責任を認めると組織全体が揺らぐ。

問題を構造ではなく「人」に押し付けたい結果として、声を上げた人現場で真面目に従った人説明責任を果たそうとした人、こうした人たちが最も損をする。

それでも不思議だと思い続けることの意味こういう話をすると、「世の中そんなもん」「会社とはそういうもの」で片付けられがちだ。

でも、「おかしい」と感じる感覚まで手放してしまったら、それはもう正常化された異常になってしまう。不思議だと思ったことを、不思議だと言葉にする。それだけでも、自分の感覚を守ること同じ経験をした人を孤立させないことには意味があると思っている。

正しい行動が報われないケースは、個人ではなく構造の問題。

コンプライアンスは「守る人」を守らなければ意味がない違和感を感じた経験は、無かったことにしなくていい。

仕事で感じたこの「不思議さ」は、今もどこかの職場で繰り返されているのだと思う。——「正しい人」が報われない会社の構造

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