新卒で入社した会社は、いま振り返っても暗い記憶しかない。年収300万、そして毎日がハラスメント漬け。上司の顔色ひとつで評価が変わり、人格を否定するような言葉が飛んでくる。生活はギリギリで、給料日前には財布の中身を数えながらコンビニに立ち寄る。お金がないということは、心の自由もないということだった。
次に転職した会社では年収は一気に700万に増えた。数字だけ見れば順風満帆だが、そこには別の不自由さが待っていた。社内にはハラスメントこそ少なかったが、今度は「上司にどう気に入られるか」のアピール合戦が日常だった。業績よりもゴマすり、成果よりも演出。結局、気を抜けば誰かに足を引っ張られる。収入は増えたが心の余裕は得られなかった。
そして現在。年収1200万。ここにきて、ようやく心から「天国」と思える環境に辿り着いた。社内にはハラスメントがなく、同僚同士も互いを尊重する。数字は確かに大きいが、それ以上に大切なのは「平穏が当たり前である」という職場の空気だ。朝起きるときの憂鬱が消え、夜の眠りも深い。ここで実感するのは、やはり金と心の余裕は比例するということだ。
ただし、もうひとつ大きな気づきがあった。金が増えると、意外にも物欲は減っていくのだ。年収300万の頃は「もっと広い部屋に住みたい」「いつか車を買いたい」と夢のリストを頭に並べていた。しかし、いざ1200万に到達し、家も車も「買おうと思えばいつでも買える」という状態になると、不思議と欲しくなくなる。手に入らないから欲しいのであって、手に入る状態になれば執着は消える。
では、世の中の富豪たちはなぜそれでもさらに稼ぎ続けるのか。ここにこそ本質があると思う。彼らは単に物を手に入れるために稼いでいるのではない。富豪たちにとってお金とは「勝負の得点」であり、「影響力の証」であり、そして「遊びのチップ」なのだ。ある者は事業拡大というゲームを楽しみ、ある者は寄付や社会的活動に資金を投じる。つまり富豪にとって稼ぐとは、生きる目的そのものになっているのだろう。
一般人の物欲は「車が欲しい」「家が欲しい」という範囲で収まる。しかし富豪は「街をつくりたい」「宇宙に行きたい」という規模に広がる。だからこそ、稼ぎ続ける動機が尽きないのだ。お金があるからこそできる「次の挑戦」が、彼らにとっては人生の張り合いになる。
自分自身を振り返れば、年収300万のときには未来への選択肢はゼロに等しかった。700万で少し広がったが、人間関係の圧力で消耗した。1200万に達した今は、買おうと思えばなんでも買えるという安心感が心の余裕に直結している。そして、その余裕が逆に物欲を削ぎ、日常の小さな幸福を味わう感性を取り戻させてくれる。
結局、金と心の余裕は確かに比例する。だが、それは「金を得て何を選ぶか」によっても変わる。物を追い続けるか、新しい挑戦に使うか。自分はまだ富豪ではないが、少なくとも「金があると人は自由になれる」という事実を、今なら胸を張って言える。
故に不動産詐欺に引っかかって5000万のローンを組んでいる。


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